大阪と四日市のラーメンと言えば ”麺や輝”

輝ヒストリー(麺と汗と輝と人)

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麺や輝のラーメン誕生の歴史~麺と汗と輝と人~

ラーメンオヤジ

こんにちは!

麺や輝代表の森輝人です。

私は三重県四日市市に生まれました。

浪人時代までを四日市で過ごし、大学時代は北海道、その後はオーストラリアと大阪で過ごし、現在は四日市、大阪、台湾を行ったり来たりの生活をしています。

私がラーメン屋を始めたきっかけ、修行時代、そしてラーメン屋を開業してからの話をしたいと思います。

「脱サラしてラーメン修行の道へ」

ラーメンの修行私は家族で外食する際、何を食べに行くかの選択肢に必ずラーメンが入るような家庭で育ちました。

その影響もあり、子供の頃からラーメンが大好きでした。

大学の頃、少林寺拳法部の知り合いから麺の作り方を教えてもらいました。

それから時々ですが粉を混ぜ、足で踏み、綿棒で伸ばし、パスタマシーンで麺を切るということを楽しんでいました。

ラーメン ゆでる大学卒業後はオーストラリアで日本語教師をしたのち、四日市で父が始めた会社に勤めていました。

大阪の関連会社に一年間、出向したのち、四日市に戻りましたが29歳の時に家業を継がないという決断をしました。

その時、次の仕事として頭に浮かんだのがラーメン屋でした。

修行先として選んだ店は、大阪府豊中市の有名とんこつラーメン店でした。

それは大阪出向時代の27歳の時に自分がはまっていたお店でした。

社員を募集しているかどうかも分からなかったのですが、電話をして面接をしていただくことになりました。

当時住んでした四日市から大阪まで行き、面接を受け、運よく採用となり働かせてもらうことになりました。

そのお店では約一年間、修業させて頂きました。

「無化調スープ」と「一日一麺」

1日1麺さて、どんな味のラーメンで勝負するかと考えた時、とんこつベースのスープでも化学調味料を使わないラーメンを作りたいと思いました。

その当時、ラーメンに化学調味料を使うのは当たり前でした。

ラーメン屋を生業としていくわけですから、当然自分自身が自分で作ったラーメンを毎日食べる訳です。

それで健康的にも安心して食べられる、そして飽きのこない毎日でも食べられるラーメン(「一日一麺」)にしようと思いました。

化学調味料を使わない分、それを補うため魚介類の旨みに焦点を当てました。

 

実家の台所に半年間籠りスープの研究

ラーメンスープ作り当時住んでいた大阪のマンションのキッチンでとんこつスープを炊くというのは無理でした。

それで四日市の実家に移り、実家の台所に大型の鋳物コンロを設置して約半年間、ラーメンスープの研究をしました。

スープに合う麺はどんな麺か考えた結果、学生時代に心得があった「自家製麺」にして自分が思うような麺を毎日店内で製麺しようと決意しました。

ラーメンスープ四日市でラーメン屋という考えも少しはありましたが、まずは大阪で勝負したいという気持ちの方が強かったので、スープの研究と併行して大阪の物件探しも開始しました。

 

「麺や輝 開業」

ラーメン輝本店2000年11月18日、31歳の時に、大阪市東淀川区菅原で「麺や輝」をオープンさせることができました。

その当時私が知る限りでは、「自家製麺」で「化学調味料を使っていない魚系とんこつスープ」というラーメンは関西では皆無だったのでそれをアピールポイントとして勝負しようと考えていました。

また、学生時代の友達に設計してもらった店の内装もガラス張りで、半円の木のカウンターという当時ではわりとおしゃれなデザインも武器として考えていました。

 

「赤字続きの一年間から軌道に乗るまで」

開業して最初の一年間はお客さんがさっぱり来ず、赤字でした。

今でこそ「麺や」=「ラーメン屋」、という認識が広がっていますが、当時は「麺や」というのは珍しく、うどん屋と間違えて入って来られるお客さんもいました。

赤字続きなのは場所が悪いからや、と私は場所のせいにしていました。

自分の実力が足りなかっただけなのに。

しかし運よく、関西の有名グルメ雑誌「あまから手帖」に掲載して頂くことになり、それをきっかけにテレビ、雑誌といったメディアに色々取り上げて頂き、店を軌道に乗せることができました。

 

「多店舗展開へ」

nakatsu_gaikan今現在、麺や輝は多店舗展開をしていますが、当時は店舗展開など全く考えていませんでした。

開業して5年経った時、「社員になりたい」という若者に出会いました。

社員募集などしていないのに突然電話があって。

まるで昔の私のように。

最初、彼をアルバイトとして採用し、その後正社員として雇うわけですが、一店舗だけの売り上げでは彼に満足のいく給料を支払えないので2号店を出すことに決めました。

2007年オープンした2号店(中津店)は最初から順調で良かったのですが、私が1号店の昼夜の営業に出て、二店舗分の麺を作るとなると体力的に大変でしたので、さらに人を雇用しようということで2008年、3号店(淡路店)を出しました。

3号店もお蔭様で順調に行き、そこから店舗展開が始まりました。

2012年8月8日には海を越えて台湾・台北市にも店をオープンさせることができました。

 

「故郷四日市へも出店」

yokkaichi_open大阪や台湾で店舗展開していく中、いつかは両親の住む四日市へも出店したいという
夢を持ち続けていました。

そして2015年10月、念願叶って四日市市生桑に「四日市生桑店」をオープンいたしました。

 

「チャレンジし続ける」

ラーメン屋の意気込み弊社には「輝のモットー10箇条」というものがあり、その中に

「自分の可能性を信じ常にチャレンジ」

という言葉があります。

基盤のある大阪を離れて台湾や三重県に出店、というのも自分にとってチャレンジではありましたが今後もチャレンジし続け、ラーメンを通して皆様に感謝を伝えていきたいと思います。

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